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金沢地方裁判所 昭和46年(行ウ)2号 判決

原告 上島弘嗣 外一名

被告 金沢大学医学部長事務取扱

訴訟代理人 中村盛雄 外三名

主文

一、原告らの昭和四五年七月二一日付金沢大学医学部法医学講座「法医学」科目の試験受験申請に対する被告の不作為は違法であることを確認する。

二、訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一、双方の申立

一、原告ら

主文と同旨。

二、被告

(一)  本案前

1、原告らの訴はいずれもこれを却下する。

2、訴訟費用は原告らの負担とする。

(二)  本案

1、原告らの請求はいずれもこれを棄却する。

2、訴訟費用は原告らの負担とする。

第二、双方の主張

一、請求原因

(一)  原告上島は昭和三八年四月、同五藤は昭和三九年四月に金沢大学医学部(以下単に「医学部」という。)へ入学し、同大学学生の身分を取得して現在に至つているものである。

(二)  原告らは学校教育法・医学部の「科目試験に関する内規」1・3項に基づいて昭和四五年七月二一日付で被告に対し、医学部法医学講座法医学科目(以下単に「法医学科目」という。)(担当教官医学部教授井上剛)の試験受験申請(以下、「本件申請」という。)をした。

(三)  しかるに、相当の期間が経過した現在(口頭弁論終結時である昭和四六年二月一九日)に至るも被告は本件申請に対してなんらの処分もしない。

よつて、原告らは申立欄記載の裁判を求める。

二、被告の本案前の主張

(一)  不作為の違法確認の訴えとは行政庁が法令に基づく申請に対し相当の期間内に処分をしないことについての違法の確認を求める訴訟であるところ、原告らが本件申請の根拠とする医学部の「科目試験に関する内規」は、公の営造物たる国立大学の営造物規則であつて講学上のいわゆる「行政規則」であるから法規たる性質を有しないものである。

従つて、原告らの主張する本件申請は行政事件訴訟法三条五項にいう法令に基づく申請とはいえないから、原告らは不作為違法確認の訴の原告適格を欠く。

(二)  大学と原告らとはいわゆる特別権力関係にあるから、原告らが大学生として大学の管理権に服し、その権力に基づく種々の制約、殊に教育上必要な制限を受けることは当然で、司法審査権といえども特別の目的の為に必要な限りにおいて大学の自主自立権を尊重すべきで、特別権力関係の内部の秩序維持、目的確保の為の措置について介入することは出来ない。

そもそも、金沢大学は学校教育法二条に定める国立大学であり、必要な人的物的施設を有する総合体であり、国の意思によつて支配し運営される営造物であるから、右営造物の主体である国と学生との間には該営造物の利用関係が生じ、そしてその国立大学の主体は、学校施設の目的達成に必要な範囲と限度において学生を包括的に支配し、学生はこれに包括的に服従すべきことを内容とする関係いわゆる公法上の特別権力関係が成立することは多言を要しない。

一般に公法上の特別権力関係は、一般権力関係に対し特別の法律原因に基づき公法上の特定の目的のために必要な限度において法治主義の原理の適用が排除され、具体的な法律の根拠に基づかないで包括的な支配権の発動として命令強制がなされる。

すなわち、特別権力関係においては、その関係を律するための規律命令権が与えられているのであつて、法律によつて特に禁止されている場合を除き特別権力関係を設定する目的を達成するに必要な限度において特別な定めをなしてこれを実施したり、或は具体的に個々の指示、命令、処分をなすことができ、そしてそれが、右の限度を超えるものでない以上、司法裁判所の審判の対象から除外されるものといわねばならない。

なんとなれば、司法裁判権は、もともと市民法秩序の維持をその使命とするものであり、憲法に特別の定めのある場合を除いて、一切の法律上の争訟に及ぶ(裁判所法三条)といつてもすべての法律関係に当然に介入しうるように考えてはならないのであつて、いわゆる特別権力関係における命令、強制や秩序維持のための規律の如きも、それが一般市民としての権利義務に関するものでない限り、その関係内部の問題として自主自律の措置に委ねるべきで、司法裁判所がこれに介入するを相当としないものがあるからである。

そして、この理は本件におけるような国立大学の営造物の利用関係にまさしく妥当するものと解するのを相当とする。

従つて、国立大学における教育実施上の事項たる学部の授業科目、試験、成績の評価等の諸事項は大学がその学校設置の目的を達成するための必要がある限り一方的に学則を制定、実施し、学生に対し具体的に指示、命令、処分をなすことにより自主的に律することができるのは勿論、これら学校利用関係における内部事項に属する事柄は、その限りにおいて一般市民の権利義務に関するものでないからこのような内部事項について大学のなす行為、不行為は、司法裁判所の審判の対象から除外されるものと解すべきものといわなければならない。

これを本件についてみるに、試験は大学長、医学部長が大学設置基準に基づき一、の授業科目を履修した学生に対して単位を与える手段たる行為にすぎないのであつて、右の単位を一定数以上修得したときに卒業と認め学士の称号を与える(学校教育法六三条大学設置基準三一条、三二条、三四条)こととされるのであるから、試験は大学が学生に対し自らの教育的見地と責任において行なう教育作用上の内部的行為であり、教育課程上の行為である。

したがつて、それは学校設置の目的を遂行する必要上学生に対し一方的に定めることが出来る特別権力関係の内部事項すなわち、自主、自律権に基づくことであつて一般市民としての権利義務に関係するものではないから試験の実施をめぐる問題は、司法裁判所の司法審査の対象にはなりえないことが明らかである。

三、被告の本案前の主張に対する原告の反論

(一)  「法令に基づく申請」について

(1) 行政事件訴訟法三条五項の「法令に基づく申請」の意義については、必らずしも法令において申請権が明文上規定されていることを要せず、解釈上、申請権が認められゝば足りると解すべきである。

また講学上のいわゆる行政規則により申請権が認められる場合でも、これを「法令による申請」より除外すべき理由は全くない。

行政事件訴訟法三条五項で「法令に基づく申請」と規定したのは陳情などの職権の発動を求めるたぐいの申立てを除く趣旨であり明文又は解釈上申請権が認められゝばそれが法律又は法規命令による場合と行政規則による場合とを区別する必要はない。行政規則による場合を含まないとすることは、行政庁の不作為に対する救済の道を大巾に閉ざすことになり、到底容認できない不当な結果になるからである。

(2) 本件における原告らの試験申請についてこれをみるに、学校教育法六三条一項は「大学に四年以上在学し一定の試験を受けこれに合格した者は学士と称することができる」と定め、金沢大学通則は、五条において「学科課程、学修方法、試験修了および卒業については、学部規程および教養部規程で定める」とし、その六条においては「学部規程の定める基準に合格し、学校教育法六三条により、学士と称することができる者には卒業証書を授与する」と規定されている。そしてこれを受けて同大学医学部規程九条は「本学部に八学期以上在学し、必修科目の全部の試験に合格した者には、本学通則第六条により卒業証書を与える」、七条は「科目試験は、担当教官ごとに一年一回行なう」と定め、同大学医学部科目試験に関する内規において試験申請に関する手続が規定されているのである。以上の法律および規則をみれば明らかなとおり、原告らは学校教育法自体により、試験を受けそれに合格しなければ学士となることができないとされているのであるから、これを裏から云えば、原告らの試験を受ける権利は、(従つてまた試験申請権も)右法律から直接認められるところである。

そしてそれと同時に右規程等は学校教育法の右法意を具体化し原告らの試験申請権を明文により定めているという意味で、法規的性質を有しているといわねばならない。

以上要するに原告らの本件申請は、まさしく法律(学校教育法)に基づくものであり、また、これを明文をもつて定めている右各諸規程自体も行政事件訴訟法三条五項の「法令」に含まれるというべきであり、右のいずれの理由からしても、被告の主張は失当である。

(二)  特別権力関係論について

(1) 被告の立論の前提となつている特別権力関係論は、我国憲法上の人権保障、法治主義の原理と矛盾し到底受けいれることのできない理論である。

特別権力関係論は、これを学説史的にみれば、ドイツの絶対君主制における官吏法として行政権力に奉仕する理論として形成せられ、我国の明治憲法下においても絶対主義天皇制にとつて人民の権利を押さえ、法治主義を骨抜きにする理論として無批判に採用されてきた。

然しながら日本国憲法は基本的人権の保障、法治主義、法律による行政、司法審査権の確立等の根本的転換をなしとげた。

従つてこの日本国憲法下において一時は田中二郎博士を中心とした行政法学者によつて特別権力関係論が維持されてきたとはいえ、とくに昭和三五年頃以降、特別権力関係論に対する批判が集積され、年を追うにつれて否定説の発表が数を増していつた。今日ではすでに特別権力関係論が学界の通説といえるかについても疑問であり間もなく小数説に転化することは明白な傾向にあるとさえ指摘されている。

要するに、所謂特別権力関係論は憲法一三条、四一条、七三条、七六条、八一条、九八条等よりすれば採用できない法理といわねばならない。

(2) 次に被告は国立大学の在学関係を特別権力関係の一つと解しているがこれも誤りである。

国立大学も私立大学も等しく教育基本法、学校教育法の適用を受け、国立大学においてある程度の支配服従の関係が認められるとしても、その性質及び実態は私立大学と何ら変りがない。

従つて国立大学の在学関係は私立大学のそれと同様に基本的には在学契約関係を構成すべきであり、少くとも特別権力関係と解し、一律に司法審査を否定することは全く誤つている。

(3) 最後に、たとえ特別権力関係論に立つたとしても、被告自身一般市民としての権利義務に関わる場合には司法審査権が及ぶことを認めている。

ところで本件の場合に、既に主張しているとおり原告らの試験を受ける権利及び試験申請権は、学校教育法の解釈上導き出される権利であり、試験をするか否かは被告の自由裁量に委ねられるべきものではなく、それはまさにいわゆる内部的規律の範囲をこえ一般市民としての権利義務に関するものといわねばならない。

従つて本件について原告らに司法審査を拒否することは、被告の主張を前提としても許されない。

四、請求原因に対する被告の答弁並びに主張

(答弁)

(一) 請求原因(一)項は認める。

(二) 同(二)項は争う。

(三) 同(三)項は争う。

(主張)

原告らから法医学科目の試験受験申請書が郵送により昭和四五年一二月一四日被告宛に送付されたことがあつたが、右申請書には該科目担当教官の承認印がなかつた。

医学部における科目試験受験手続には、医学部の慣例に基づき「試験受験申請書」に該科目の担当教官の承認印を必要とし、これがあつてはじめて受験申請があつたものとして被告はこれを受理するのである。従つて、右の申請書の送付だけでは受験申請があつたものとはいえないし、また原告らから右の意味における適法な試験受験の申請がなされたことはなく、原告らからの申請自体が不存在というべきであるから被告にはなんら不作為の状態は生じておらず、結局、原告らの本件請求は理由がない。

五、被告の主張に対する原告の答弁並びに反論

(答弁)

被告の主張中、原告らが法医学科目の試験受験申請書を担当教官である井上教授の承認印のないまゝ被告宛にその主張の日に郵送したことは認めるが、その余は争う。

(反論)

(一) 本件申請をめぐる事実関係は次のとおりである。

(1) 昭和四五年五月一一日原告らの代表北野英一は、他の科目と同時に法医学科目の試験受験申請書を作成し、井上教授のもとに、試験日の打ち合わせに赴き、承認印を求めたが、同教授に拒否されたので、申請書の提出はできなかつた。

(2) 次いで同年七月二一日原告上島が他の学生(原告五藤を含む)を代表して同じく受験申請書を持参し、同教授のもとに印を求めに行つたが、同じく同教授の拒否に会い、申請書は承認印のないまま学生係長に手渡した。その際同係長は受取ることを拒んだが、「内規」には承認印を求めることの規定がないことを理由にその拒絶の不当性を追求したところ、一応受理された。

(3) 右(2)の申請について、申請行為そのものの証拠が残らないことを心配した原告らは、昭和四五年一二月一四日今度も井上教授に承認印を求めたが得られなかつたので、同教授の印のないまま申請書を配達証明郵便で学部長宛郵送した。

(二) 右の再三にわたる申請につき、担当教官井上教授の承認印そのものが、申請書上に存しなかつたことはまちがいない。しかしそのことを以て、右申請行為それ自体が存在しなかつたと云うことにはならない。又承認印がないからと云つて右申請が不適法であると云うことにはならない。この点で被告の主張する慣例が問題である。

原告らの申請は、金沢大学医学部の「科目試験に関する内規」に基づいて申請したものであるところ、右内規には何ら被告主張の如き手続を要求していないから、この点でも手続的に不備な点はないのみならず、被告の云うような慣行がはたして被告主張のとおりの形態で、又同主張の意味で存在したかどうか疑問である。医学部における試験は従来学生の方で教授と打ち合わせをして日程を組んでいたから、右申請書上における印は、その日程を承認したと云う意味での印であつたかも知れず、又事実上印を押さないで試験をした教授も全く無かつたとは云い切れないのだから右印がないと云うことでもつて申請の適否を云々するのは全く不当である。

(三) 仮りに被告主張のような慣行が存在するとしても、かゝる慣行は不合理なもので何ら存在理由なく、原告らの申請に影響を及ぼさないものと云うべきである。

かゝる慣行が被告の云うとおりの意味で存在するなら、学生が試験を申請できるかどうか、ひいては卒業できるかどうかは全く一教授の恣意にかゝることになり、一教授の恣意によつて受験申請そのものができなくなるということになると、その恣意の不当性を追求する何らの手段もなくなり救済そのものが否定されるという結果になつて、その不当であることは明らかであろう。

(四) 原告らは法医学科目を規定の期間学習し、総時間数の三分の二以上出席して該学科を充分履習し右内規に定める受験申請資格を充足しておりこの点担当教官も確認しているから、印を押さないのは全く井上教授の恣意としかいいようがない。この点印を押すかどうかは担当教官の自由裁量であるとして、被告は同教授の態度を是認するが如きであるが、かゝる恣意を自由裁量の名のもとに許容する被告の態度こそ不当極まりないもので、かゝる点からしても右慣行は何ら合理的な存在理由がないというべきであろう。

(五) 仮りに百歩譲つて被告主張の慣行を容認するとしても、原告らは担当教官の認印手続を全く無視したのではなく、右認印手続を求めて井上教授のもとに出頭したのであるから、右井上教授が何ら正当な理由なく押印を拒否したものである以上、右原告らの所為を実質的に見ると、かかる押印を求めたという点において、右慣行上の要件を充足したものというべきであり、現実に右印を押されてはいなくとも、それは適法なものというべきである。被告がかかる見解に立つて取扱いをする余地は充分あるのに、それをしなかつた点において本訴上の責任ありといえるであろう。

第三、証拠関係〈省略〉

理由

第一、本案前の判断

一、(原告適格について)

行政事件訴訟法(以下単に「行訴法」という。)三七条は、不作為の違法確認の訴えの原告適格について「処分又は裁決についての申請をした者に限り、提起することができる。」と規定するが、ここに「処分又は裁決についての申請をした者」とは、申請権限の有無を問わず、当該訴訟の対象となつている不作為の内容である処分裁決について現実に申請した者であることを要し、かつ、それをもつて足りるものと解すべきである(即ち、現実に申請した者が法令に基づく申請権を有しない場合には、行政庁はその申請に対して応答することを義務づけられていないから行政庁の不作為は実体法上違法とならず、本案において請求は理由がないものとして棄却されることになるのであつて、要するに申請権限の有無は本案の判断事項であつて原告適格の問題ではない。なお、原告らの本件申請権限の有無については後記の如く本案に対する判断の項において言及する。)。

ところで、原告らが昭和四五年七月二一日付をもつて被告に対し法医学科目の試験受験申請をしたことは後述のとおりであるから、原告らは原告適格を有するものというべきである。

二、(司法審査権の存否について)

(一)  被告は、原告らの本件訴えの却下を求める前提として原告らの金沢大学における在学関係を特別権力関係であるものと主張し、その根拠を、国立大学学生の在学関係が教育目的という高度に自律的・専門的判断や考慮を不可欠とし、そのために一般権力関係にはみられない特殊な包括的な支配権あるいは自律権をもつて内部的な規律を行うべき必然性を有するところの公の営造物である国立大学の利用関係であることに求めているものの如くである。

しかしながら、公の営造物の利用関係が一般的に特別権力関係となるものではないこと勿論であるのみならず(その法的性質如何は各種営造物の具体的な性質や利用の態様あるいは実定法規の規定ないしは法規全体の趣旨等に照らして決すべきであろう。)、被告の指摘する包括的な支配権などもひとり国立大学ばかりでなくひとしく私立大学においても認められるところであるから、右包括的な支配権の存在をもつて国立大学の在学関係を私立大学におけるそれとは異質な特別権力関係と解すべき充分な根拠とはなし得ないものといわざるを得ない。

そしてまた、現行の教育関係法規をみても国立大学であると私立大学であるとを問わず学校教育法、教育基本法の適用をうけ、両者は同一の目的をもつ教育機関である(学校教育法五二条)ものとされているのであつて、国立大学校ないしその在学関係と私立のそれとの間に本質的な差異を認めていないのである。

このようにみてくると、国立大学の在学関係を特別権力関係と解すべき合理的理由を見出し難く、原告らの本件訴えにつき司法審査権の存否を検討するにあたつて被告主張の如き、いわゆる特別権力関係論を前提とすることは必ずしも首肯できない。

もちろん、このことは国立大学の管理主体の学生に対する指示、命令、処分など各種の教育的措置について全面的に司法審査権が及ぶことを意味するものではなく、これらの教育的措置によつて学生の権利、利益が侵害されることがあつても、元来大学が高度な自律性と専門性をもつた教育施設であり(憲法二三条・学校教育法五二条)、そこにおける各種の教育的措置が教育目的達成のため自律的・専門的な判断・考慮に基づいてなされるものと考えられるので、学生の権利、利益の侵害と大学教育における右専門性、自律性との比較、較量のうえでその専門性、自律性が高度の場合は司法的判断に親しまない、あるいは司法審査権の対象とするのが適当でない部面のあることは否定できないけれどもその程度に至らない場合は司法審査の対象とするのが適当であると考えられる。

(二)  これを本件についてみるに、試験に関する措置としては、試験を実施するかどうか、その時期あるいは方法、受験資格・受験手続をどのように定めるか、学生の受験を許可するか否か、成績の評定を如何にするか等々の内容に区分することができるが、これらの区分内容における専門性と、その対象となる学生の権利関係との相関関係は一様ではなく、すべてを同一に論ずることはできない。

即ち、例えば試験の具体的実施方法や試験成績の評定に関するものは、事柄の性質上高度の専門的判断を必要とし、だからこそ学校教育法その他の現行教育法規においてはこれらの点について特段の規定をおいておらず、また大学の自主立法たる金沢大学及び医学部の諸規程においても試験の具体的実施方法について定めるところはなく、さらに同大学医学部の「医学部規程」(成立に争いのない甲第三号証)八条が成績の評定に関して合格・不合格につき一般的規準を定めているにすぎないのであつて、このことから考えると試験の具体的実施方法や試験成績の評定に関する教育的措置は、いわば裁量行為であり、かつその裁量の範囲も広く、原則として司法的判断に親しまないものというべきである。

右と異り試験を実施するか否かは、さほどの専門的判断や考慮を要するものとは考えられず、また学校教育法六三条一項が「大学に四年以上在学し、一定の試験を受け、これに合格した者は学士と称することができる。」と規定して大学においては当然に試験が実施せらるべき旨、大学における試験実施の義務を宣明し、(大学設置基準-昭和三一年文部省令二八号-三一条参照。)更にはこれをうけて前掲の「医学部規程」七条が「1科目試験は担当教官ごとに一年一回行なう。」と規定していることに鑑みると、これを、自由裁量行為と解することはできないものといわなければならない。

のみならず前引の、学校教育法六三条一項並びに前掲「医学部規程」九条一項の「本学部に八学期以上在学し、必修科目全部の試験に合格した者には、本学通則第六条により卒業証書を与える。」との規定及び「金沢大学通則」(成立に争いない甲第一号証)六条の「学部規定の定める基準に合格し、学校教育法第六三条により、学士と称することができる者には卒業証書を授与する。」との規定に照らすと、試験を実施するか否かによつては、対象たる学生は進級或いは卒業の機会を失い重大な権利侵害を受けることにもなりかねないであろうことは多言するまでもない。

このように考えてくると、試験に関する措置のうち少くとも試験を実施するかどうかに関する係争については、司法審査権が及ぶものと解するのが相当である。

(四)  なお、前述のとおり、国立大学における学生の在学関係は私立大学学生のそれと法的性質において異なるところはないのであるが、国立大学における学生の在学関係をめぐる措置に関する訴訟は、現行実定法上では行政訴訟とされているものと解される(行政不服審査法四条一項八号参照。従つて、右にいう措置はいわゆる「形式的行政処分」と解される。)。

三、(被告適格について)

原告らの本件訴えにつき被告適格を有するものは、大学内部の機関で本件受験申請につき処分権限を有するもの(換言すれば、本件受験申請に対し応答義務を有するもの)であるところ(行政事件訴訟法三八条一項、一一条一項)、国法上大学の各機関相互間の職務権限は必ずしも明確でなく、結局、大学内部における自主立法あるいは慣行に委ねられているものと解される。

ところで、学校教育法は大学内部の執行機関として学長の設置とその職務権限について定める(五八条三項)とともに、同法それ自体には明定するところはないが、同法も当然予定していると考えられる執行機関として学部長がある(学校教育法施行規則一三条二項参照。)。

そして、金沢大学の自主立法たる「金沢大学管理規程」(成立に争いない甲第二号証)二〇条は「1学部長……は、それぞれの学部……を総括し代表する。2学部長は教授会の定めた方針にのつとり当該学部の運営に当り、その責に任ずる。」ものと定めるとともに医学部の「科目試験に関する内規」(成立に争いない甲第五号証)は「3試験を受けようとする学生は、予め所定の受験申請書を学部長に提出しなければならない。4休学その他の事由で当該学科の履修が充分でないと認めたときは、試験の申請を却下することがある。」と規定していて、受験申請の名宛人は学部長とされているとともに、一定の要件を欠く場合には学部長に当該受験申請を却下する権限を付与しているものと解され、しかも、本件受験申請の処理の如き試験に関する事項は医学部の「運営」に含まれるものというべきであるから、受験申請につき処分権限を有するものは医学部長であると解するのが相当である。

そうすると、原告らの本件訴えにつき被告適格を有するものは医学部長である。

四、(結論)

以上の次第であるから、原告らの本件訴えはなんら訴訟要件に欠けるところはなく、適法である。

第二、本案の判断

一、(「法令に基づく申請」について)

(一)  原告らが金沢大学医学部に在学する学生であることは当事者間に争いがなく、また前掲甲第五号証によると医学部の「科目試験に関する内規」は「1学生は、各科目について規定の期間学修した上、試験を申請することができる。」と規定していることが明らかである。

(二)  そこで、右内規に基づく本件の如き受験申請が行訴法三条五項にいう「法令に基づく申請」に該当するかどうかを検討するに、右内規をその形式に則してみる限りにおいては金沢大学の営造物規則であつて、それがいわゆる行政規則に属することは被告所論のとおりであるが、行政規則の形式をとりながらその実質においては法規の補充としての意味をもち、それ自身法規的性質を有するものがあることは一般に肯認されているところである。

そして、右の如き法規的性質を有する行政規則に基づく申請については、行訴法三条五項にいう「法令に基づく申請」といい得るものと解するのが相当である。

けだし、同項にいわゆる「法令に基づく申請」とは、必ずしも当該法令それ自体が明文をもつて特定の者に申請権を認めている場合のみならず、その法令の解釈上申請権を特定の者に認めているものと解される場合をも含むものというべきだからである。

(三)  学校教育法六三条一項は前引のとおり大学における試験実施義務を宣明しており、これを試験を受ける学生側からみれば一定の試験を受けることはいわば学生の最も重要な基本的権利の一つと認められる(義務としての側面があることは否定し得ないが、こゝでは単に権利ということとする。)。そして、その手続その他の具体的事項を如何にするかはすべて大学の自主立法あるいは慣行に委ねているものと解されるところ、成立に争いのない甲第一、三号証によると、「金沢大学通則」は五条において「学科課程、学修方法、試験、終了および卒業については、学部規程……で定める。」とし、これをうけて「医学部規程」七条は前引のとおり「1科目試験は、担当教官ごとに一年に一回行なう。」ものとし、更に受験申請資格並びにその手続について前掲「科目試験に関する内規」が具体的に定めている(各条項は後に引用する。)ことが認められる。

そうすると、右内規は学生の試験に関する基本的権利を抽象的・一般的に規定する学校教育法六三条一項を補充するとともに学生の右権利を保障する具体的・手続的規程であつて、まさしく法規たる実質を有するものと解することができる。

よつて、右「科目試験に関する内規」に基づく受験申請は、行訴法三条五項にいう「法令に基づく申請」に該当するものというべきである。

二、(原告らの受験申請並びにその適法性について)

(一)  成立に争いのない乙第六号証によると、原告らが昭和四五年七月二一日付をもつて被告宛に提出した「試験受験申請書」には法医学科目担当の医学部教授井上剛のいわゆる承認印を欠くことが明らかである。

(二)  原告らが右の如く該担当教授の承認印を欠いたまゝ法医学科目の試験受験申請を為すに至つた経緯は、証人北野英一、同西田尚紀の各証言、原告上島弘嗣本人尋問の結果に弁論の全趣旨を併せ考えると、次のとおりであることが認められ、他にこの認定を覆えすに足りる証拠はない。即ち、

(1) 昭和四五年五月一一日、当時医学部四年生に在籍していた原告ら両名を含む四八名が「クラス会」を開催し、昭和四四年一二月から昭和四五年五月七日頃まで継続した医学部学生の授業放棄のため遷延していた法医学科目を含む一七科目の試験の実施を求めて受験申請することを決議した。

(2) 医学部においては、従前から科目試験実施の具体的日時・場所は受験者たる学生らと該科目担当教官との協議によつて決定されてきており、その協議のためと受験申請者中に受験欠格者(所定の出席日数を欠くため受験資格を有しない者)があるかどうかを事前に検討する目的で、学生の代表者が申請者の名簿を添付した受験申請書をまず事情に明るい各科目担当教官の許へ持参して該科目担当教官の承認印の押捺を得たうえで学生係の窓口へこれを提出して医学部長に一括して受験申請する慣行が存在していた。

そこで、右四八名の学生らは右の学部内慣行に従つて、法医学科目の試験実施日時を一応昭和四五年七月三〇日、場所を図書館とし、代表者に北野英一を選任し、同年五月一八日右北野が担当教官である井上教授の許へ承認印を求めるため所定の受験申請書(用紙)(成立に争いのない乙第五号証)を持参した。

ところが、同教授は(イ)前記授業放棄中に実施された法医学科目の試験(三五名が受験)の際になした授業放棄に参加した右学生らの試験妨害行為と暴力行為を公的に謝罪していないこと並びに(ロ)代表者による受験申請は認められないこと、の二点を理由として承認印の押捺を拒絶したゝめ、北野はやむなく法医学科目については試験受験申請書を提出することをひとまず断念し、クラスへ持ちかえつた。

なお、他の一六科目の試験受験申請書は、いずれも各担当教官の承認印を得たうえ学生係を経て医学部長に提出され、右各試験は同年五月二五日頃から七月二五日頃までの間に順次実施され、その結果原告らはいずれの科目試験にも合格し、現在のところ法医学科目の試験に合格し単位の認定をうけさえすれば卒業資格を取得し得る状況にある。

(3) 次いで、昭和四五年七月二一日原告上島が学生の代表者として本件受験申請書(乙第六号証)を井上教授の許へ持参したが、前記北野が持参した場合と同趣旨の理由で同教授が承認印の押捺を拒否したゝめ、已むなく承認印のないまま受験申請書を提出しようとしたところ、学生係員は井上教授の承認印がないことを理由にその受領を拒んだが、原告上島において担当教官の承認印を求めるべき規程上の根拠がないことを指摘・追求した結果学生係長がこれを受領しその後同係長から医学部長のもとに届けられた。

その後、医学部長は本件受験申請書には担当教官たる井上教授の承認印がないから受理することができないとして原告上島に返却しようと試みたが、原告上島らはその受領を拒んでいるため、本件受験申請書はそのまゝ学生係において保管されている。

(4) その後、原告らは前項の受験申請をしたことの証拠が残らないことを慮つて、学生ら個々人名義で法医学科目試験の受験申請書を配達証明郵便にて医学部長あてに郵送することにし、原告上島は同年一二月一四日右申請書を携えて井上教授の許へ赴いたが、前二回同様教授の承認印を得られなかつたので、原告らは承認印のないまま同日付で右申請書を医学部長宛に郵送したところ、右申請書はその後医学部長から原告らに返送されてきた。

(三)  そこで、次に右認定を前提として原告らの本件受験申請が適法になされたかどうかを検討する。

既述のとおり、学校教育法六三条一項をうけて医学部の「科目試験に関する内規」が受験申請資格(それはとりも直さず受験資格に他ならないものと解される。)並びに受験申請手続について具体的に規定しているが、右の規定は学生の基本的権利の保障規定であるから厳格に解すべきであつて、被告あるいは科目担当教官において、合理的な特段の事由もないのに右の規程の趣旨に反して学生の受験申請の受理を拒み、または受験申請の資格を奪うなど学生の権利を侵害するような恣意的な解釈運用は許されないと解するのが相当である。

即ち、右内規は受験申請資格につき「1学生は、各科目について規定の期間学修した上、試験を申請することができる。2学生は、講議および実習の総時間数のそれぞれ3分の2以上出席しなければ、受験の申請をすることができない。4休学その他の事由で当該学科の履修が充分でないと認めたときは、試験の申請を却下することがある。」と定めているのであつて、要するに所定の履修を了えていさえすれば受験申請資格を有するのであつて、所定の履修を了えている学生に対し、特段の事由のないかぎりその余の事由でもつて受験申請資格を否定することはできない。

そして原告上島弘嗣本人尋問の結果と弁論の全趣旨によると、原告ら両名はいずれも法医学科目につき出席時間数に欠けるところもなく所定の履修を了えていることが認められるから、原告らはいずれも法医学科目の試験受験申請資格を有することが明らかである。

次に、右内規は受験申請手続については、「3試験を受けようとする学生は、予め所定の受験申請書を学部長に提出しなければならない。」と定めるのみで、他に学内規則を精査しても予め該科目担当教官の承認印を求めるべき旨の規定はなんらみあたらない(成立に争いない乙第五号証(「試験受験申請書」用紙)中にも、承認印の押捺を予定する欄は設けられていない。)し、また、受験申請書に該科目担当教官の承認印を求める学内慣行といえども前記認定のとおり((二)の(2))、試験実施の日時。場所の協議の便宜と、学生の受験申請資格の有無をいわば事務処理上の便宜のため事前に最も事情に明るい該科目担当教官が先ず確認・証明して処分機限を有する学部長にその判断資料を提供するためのものでしかなく、他に受験申請手続上予め該科目担当教官の承認印を要するものとする根拠を見出すことはできない。

従つて、原告らが既述のように所定の出席時間数を充足して履修を了え受験資格を有していることが確認できる以上、原告らの本件受験申請は適法になされたものということができ、該科目担当教官は承認印の押捺を拒絶することは許されないところであるとともに、被告としても右担当教官の承認印のないことだけを理由として原告らの提出した前記受験申請書の受理を拒み、受験申請それ自体がなかつたものとして原告らの本件受験の門戸を閉すことは許さない。

三、(被告の不作為について)

(一)  原告らの本件受験申請に対し、相当の期間を経過した本件口頭弁論終結時に至るも、被告はなんらの応答もせず不作為の状態にあることは、弁論の全趣旨に徴して明らかである(なお、被告が本件受験申請書を原告らに返却しようと試み、また昭和四五年一二月一四日付の受験申請書を原告らに返送したことは既に認定したところであるが、右が原告らの本件受験申請の却下を意味するものでないことは、被告の釈明に照らして明らかである。)。

(二)  そして、被告の不作為が原告ら学生の大学を卒業し「学士」の資格(学校教育法六三条一項・金沢大学通則六条・医学部規程九条)を取得するかどうかがかかつている試験を受ける機会を不当に妨げるものであつて違法であることは叙上に照らして明らかである。

第三、結語

以上の次第であるから、原告らの本件受験申請に対する被告の不作為は違法である。よつて、原告らの本訴請求は理由があるからこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 至勢忠一 北澤和範 川原誠)

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